ひとりになりたいときは
2009年3月1日会社の帰りでオフィスからターミナル駅までならカフェで、自宅最寄駅近辺ならファミレスでぼーっと。会社モードからいったん個人に戻ってから、プライベートゾーンである家に帰宅するための儀式のようなもの。
自宅にいて「ひとりになりたい」と思うときはまずない。帰宅してひとりだと、彼が早く帰らないかと思いながら料理をしていたり(と言っても必ずしもラブラブな意味で早く帰らないかと、だけではなく、なにかちょっとした家庭内の相談事とかがあったりとか)、ふたりでいても、だいたい並んでPCに向かって別々のことをしていて、時々「これ面白いよー!」とか言って見せたりするぐらいで、べったり一緒になにかをしているわけでもない。
食事のときと寝る時くらいしか、一緒になにかをする、ということがほとんどないんじゃないかとさえ思う。
それで一緒に暮らしている意味があるのか? といわれれば、一緒に暮らすことそのものが目的みたいなもんだから、意味はあるのだった。
自宅にいて「ひとりになりたい」と思うときはまずない。帰宅してひとりだと、彼が早く帰らないかと思いながら料理をしていたり(と言っても必ずしもラブラブな意味で早く帰らないかと、だけではなく、なにかちょっとした家庭内の相談事とかがあったりとか)、ふたりでいても、だいたい並んでPCに向かって別々のことをしていて、時々「これ面白いよー!」とか言って見せたりするぐらいで、べったり一緒になにかをしているわけでもない。
食事のときと寝る時くらいしか、一緒になにかをする、ということがほとんどないんじゃないかとさえ思う。
それで一緒に暮らしている意味があるのか? といわれれば、一緒に暮らすことそのものが目的みたいなもんだから、意味はあるのだった。
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