リソース配分について考えている
2008年8月25日一昨年から去年にかけての事故やら闘病やらで、もともとそう丈夫でもなかったのがめっきり体力が落ち、否応なく考える羽目になった、というところだが。結婚したのも結局は、非日常的な恋愛にリソースを燃やすことにもはや興趣を感じなくなったからこそであったともいえる。
では何にリソースを配分していくか。
まず子どもを持つつもりはティーンのころから変わらずでまったくないので、いわゆる世間並みの家庭の幸福というものの構築にはそれは配分されない。では夫を献身的に支える妻、という役割に注入するのかといえば、むしろ配偶者に献身的に支えられているのは私のほうなので、これもない。
では世話をされて身づくろいしては眠っている猫のように暮らすのかといえば、猫のようにただ在るだけで充足しているというその姿が美しい、という類の生き物ではないのでそういうわけにもいかない。
となると、さまざまな事情で途中で放り出し、「でも誰かがやってくれるだろう」と思っていた課題が、相変わらず解決されていないのをまとめなければならないという気がしてきた。しかし、正直、それを成し遂げるのに、自分のリソースで足りるのか、ということを考えるとしり込みしてしまうのだが。
では何にリソースを配分していくか。
まず子どもを持つつもりはティーンのころから変わらずでまったくないので、いわゆる世間並みの家庭の幸福というものの構築にはそれは配分されない。では夫を献身的に支える妻、という役割に注入するのかといえば、むしろ配偶者に献身的に支えられているのは私のほうなので、これもない。
では世話をされて身づくろいしては眠っている猫のように暮らすのかといえば、猫のようにただ在るだけで充足しているというその姿が美しい、という類の生き物ではないのでそういうわけにもいかない。
となると、さまざまな事情で途中で放り出し、「でも誰かがやってくれるだろう」と思っていた課題が、相変わらず解決されていないのをまとめなければならないという気がしてきた。しかし、正直、それを成し遂げるのに、自分のリソースで足りるのか、ということを考えるとしり込みしてしまうのだが。
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