怖くて読めないでいる。だんだん過去のことが思い出されて辛くなってきたから。
冷静に思い出してみると、自分は母からしつけという名のもとに虐待されていたことが、今になってはっきりわかってきたからだ。虐待されつつ、同時に素敵家族ごっこや仲良し母子ごっこを強制されていたのだ。
それとも以下のようなことは母のいうように「どこの家でもあること」で虐待ではないのだろうか?
幼稚園ごろ:
銀行の横を通った時に「銀行の人はいいなあ、いっぱいお金(お給料)もらえて」と言ったら、つないでいた手をひねりあげられ、ものすごい怖い顔と声で「そんなことあるわけないでしょっ!」と怒鳴りつけられる。
このころから「なんでそんなことで?」と思うようなことでいきなり怒鳴られたり暴力をふるわれたり家の外に出されたり(これは近所の子が「どうしたの?」とやってきて遊びの輪に入れてくれて「しつけ」の意味がないと思ったのか、外聞が悪いと思ったのかあまりやられなくなった)していた。
幼稚園〜小学校低学年:
ピアノのお稽古をしていて間違えると
・間違えた音を弾いていた指をすかさずマチ針で突き刺す
・手、腕、体などをつねる
・脚を蹴る、足を踏む
・叩く
・怒鳴る
などをされ、毎日恐怖で震えて泣きながら練習させられた。もちろん勉強に関しても同じ対応で、家ではとにかくよく泣いていた。
当時はお風呂で髪をカットされていたが、母の手が滑って耳が切れたときに当然痛いので泣き出したら、「泣くとよけい震えて危ないでしょ!」と怒鳴られ、手当てもなしに髪カット続行。「痛い?」「ごめんごめん」という言葉はなし。たださすがにまずいと思ったのか、以降美容院に通うことに。その時切れた部分は今でも痕が残っている。
中学時代:
入学時に吹奏楽部に入ってあこがれていた楽器に担当が決まった話もしていたのに、母がいきなり学校の先生と話をして吹奏楽部をやめさせ、まったく興味のないテニス部に相談もなく変えさせられた。興味がない練習態度からその部の先輩に目をつけられいじめられ、結局一年で最初入ろうとした吹奏楽部に戻ることになった。もちろん最初に勝ち取った楽器の担当は埋まっていて、何のスキルもない状態で新一年生に「先輩」と気を使われながら活動する羽目に。
はじめて生理が来たしばらく後に、街中で買い物中に「高校に入る前にわたしをおばあさんにしないでよね!」といきなり言われる。処女だったので非常にショック。
友人との電話は必ず親子電話で盗み聞きされていた。これは大学に入って実家を離れるまで続いた。
高校時代:
マンガ研究部のクラブ活動が勉強の邪魔になると何度も退部させられる。家に持ち帰って文化祭模擬店用などの絵葉書製作作業をしているのが見つかると即廃棄。それだけしつこく邪魔をしておいて後年「才能あったんだから続けてればよかったのに」と言われて唖然。
最近:
友人が精神疾患がもとで自殺した際に「もっと早く彼女の状態を言ってくれれば病院を紹介したのに」と言ったのを、別の友人が精神のバランスを崩した際に思い出し「こういう状態なので病院を紹介してください」とFAXしたら「それじゃよくわからないので病院は紹介できない。それにこのFAXは友人の状態をかたってあなたがわたしを責めているように感じた」と的外れに逆切れ。結局、病院の紹介はなかった。
ちなみに父は上記のような虐待があっても見て見ぬフリ。一度だけ「お前たちがお母さんに叱られているのを聞いていると胃が痛くなるから、そうならないようにしてくれ」と身勝手なことを言われた。
冷静に思い出してみると、自分は母からしつけという名のもとに虐待されていたことが、今になってはっきりわかってきたからだ。虐待されつつ、同時に素敵家族ごっこや仲良し母子ごっこを強制されていたのだ。
それとも以下のようなことは母のいうように「どこの家でもあること」で虐待ではないのだろうか?
幼稚園ごろ:
銀行の横を通った時に「銀行の人はいいなあ、いっぱいお金(お給料)もらえて」と言ったら、つないでいた手をひねりあげられ、ものすごい怖い顔と声で「そんなことあるわけないでしょっ!」と怒鳴りつけられる。
このころから「なんでそんなことで?」と思うようなことでいきなり怒鳴られたり暴力をふるわれたり家の外に出されたり(これは近所の子が「どうしたの?」とやってきて遊びの輪に入れてくれて「しつけ」の意味がないと思ったのか、外聞が悪いと思ったのかあまりやられなくなった)していた。
幼稚園〜小学校低学年:
ピアノのお稽古をしていて間違えると
・間違えた音を弾いていた指をすかさずマチ針で突き刺す
・手、腕、体などをつねる
・脚を蹴る、足を踏む
・叩く
・怒鳴る
などをされ、毎日恐怖で震えて泣きながら練習させられた。もちろん勉強に関しても同じ対応で、家ではとにかくよく泣いていた。
当時はお風呂で髪をカットされていたが、母の手が滑って耳が切れたときに当然痛いので泣き出したら、「泣くとよけい震えて危ないでしょ!」と怒鳴られ、手当てもなしに髪カット続行。「痛い?」「ごめんごめん」という言葉はなし。たださすがにまずいと思ったのか、以降美容院に通うことに。その時切れた部分は今でも痕が残っている。
中学時代:
入学時に吹奏楽部に入ってあこがれていた楽器に担当が決まった話もしていたのに、母がいきなり学校の先生と話をして吹奏楽部をやめさせ、まったく興味のないテニス部に相談もなく変えさせられた。興味がない練習態度からその部の先輩に目をつけられいじめられ、結局一年で最初入ろうとした吹奏楽部に戻ることになった。もちろん最初に勝ち取った楽器の担当は埋まっていて、何のスキルもない状態で新一年生に「先輩」と気を使われながら活動する羽目に。
はじめて生理が来たしばらく後に、街中で買い物中に「高校に入る前にわたしをおばあさんにしないでよね!」といきなり言われる。処女だったので非常にショック。
友人との電話は必ず親子電話で盗み聞きされていた。これは大学に入って実家を離れるまで続いた。
高校時代:
マンガ研究部のクラブ活動が勉強の邪魔になると何度も退部させられる。家に持ち帰って文化祭模擬店用などの絵葉書製作作業をしているのが見つかると即廃棄。それだけしつこく邪魔をしておいて後年「才能あったんだから続けてればよかったのに」と言われて唖然。
最近:
友人が精神疾患がもとで自殺した際に「もっと早く彼女の状態を言ってくれれば病院を紹介したのに」と言ったのを、別の友人が精神のバランスを崩した際に思い出し「こういう状態なので病院を紹介してください」とFAXしたら「それじゃよくわからないので病院は紹介できない。それにこのFAXは友人の状態をかたってあなたがわたしを責めているように感じた」と的外れに逆切れ。結局、病院の紹介はなかった。
ちなみに父は上記のような虐待があっても見て見ぬフリ。一度だけ「お前たちがお母さんに叱られているのを聞いていると胃が痛くなるから、そうならないようにしてくれ」と身勝手なことを言われた。
コメント
父親はアル中でお酒によく逃げていました。
母親と口論になったときは、父母の前でよく「土下座」させられました。
母親の粘着質の怒りを沈めるため、「なんでもいいから謝ってこい」と
毎回言われました。
やっぱり普通には育たず、自分でも嫌になるほど
大の大人になってもよく切れるし精神コントロールできません。
両親ともいわゆるエリート家庭出身の、文武両道+芸術に秀でた人物で、自分に厳しく身内にもとうぜん厳しく、ということで、成績だけはいいけど体が弱くて妄想癖の強い変わり者の一人目の子どもが許容できなかったんでしょう。