玩具でいいから

2006年10月14日
何度目かの行為のあと、彼はわたしの指にキスをしながら、言った。


「もう、この爪と指がないと、ほんとの快感を得られなくなってしまった…。」

−自分でもこんなにマゾだとは思ってなかった?

「ぜんぜん、予想もしてませんでした。」

−もうすっかりカスタマイズされちゃったのにね。

「ほんとに。あなたにしか、虐めてほしくないです。でも、玩具でいる間は、甘えさせて?。」


そう言って、彼は後ろからわたしの肩を抱く。


−甘えるって、どんなふうに?

「こういうふうに、いちゃいちゃさせてほしいって意味です。」


恥ずかしそうに言う唇が、かわいらしい。


「私は、この一ヶ月でもうあなたしか目に入らなくなってしまった。たぶん、寝ていなくてもおなじだったでしょう。」

−どうして?

「あなたが魅力的だからですよ。」

−ありがと(笑)


そんな甘い会話の間に、急にすうっと背筋が寒くなるようなことも、言う。


「ねえ、玩具はどうやって捨てるんですか?。」

−ん? 捨てたことは、ないわよ。10年前の浮気相手とか、今では友だちだし。

「じゃあ、使わないときの玩具は玩具箱の中で待ってていいんですね?。」

−そうね。でもあなたとわたしの関係は、それだけじゃないでしょ?

「食事したり、映画見に行ったり?。」

−そう。


おそらく、このときの彼は、新しく足を踏み入れてしまった快楽の領域に戸惑って、玩具としての覚悟が定まっていなかったのだと思う。


わたしが精神的なトラブルからの逃避と気晴らしで、彼に手を出したことは、彼本人もわかっていた。だから、彼との行為が、気晴らし1割、ストレッチ1割、依存8割になりそうでこわい、と話すと、彼は即座に、こう言った。


「一回、一緒に寝るの止めます?もちろん側にはいますから。気晴らし10%悩み80%なら、ここでお互い自制したほうがいいかも。」

−ほんとは最初からこうしちゃいけなかったのにね。今となっては、そうできるかわからない。できそうもない。

「ごめんなさい、私が最初にあなたの髪を触ったりしなければ、こんなに苦しめることもなかったんですよね。」

−それに関しては、誰が悪いとかはないのよ、たぶん。あなたも悪くないし、わたしも悪くない。だから、そういうふうには考えないで。

「ありがとう、そう思ってくれて。でも、私はあなたと寝るのをやめるだけなら平気だけど、会えなくなるのはいやです。あなたがほかの誰かと関係をはじめても、以前みたいに、食事したり、映画を見に行ったりはしてくれますか?それで、時々、帰りがけに抱き締めさせて。それで、やっていけると思う。」

−わたしも、あなたに会えなくなるのは嫌。

「よかった…。あなただけは、失いたくない。寝るとか寝ないとか関係なく、あなたに会えなくなるのだけは、嫌なんです。」


こんなふうに、玩具としての覚悟ができてきたように見えた彼だが、その後も、微妙に心が揺れ動いている。


週末の朝、彼と抱き合ってゆるゆると過ごしていた。その時にふと、口をついて出たのは、こんな言葉だった。


−あなたに恋できたら、お互いラクになれるのにね。

「でも、あなたは私だけじゃ満足できないでしょう。私も応え切る自信がない。だから、そうなったら他の男を作ってもらわないと、乗り切れないかも。それに、あなたは1対1の関係が苦手なんじゃないですか?。」

−そんなことないわよ、付き合い始めると数年単位で長いし。

「そうでしたね。」

−つまみ食いとかは、あったけど。

「それは、まあ、わかってます。」


そのまま、無言で抱き合っていたら、彼はいきなり、泣き出した。


−なに? どうしたの?!

「…ごめんなさい。あとで、説明します。」


そう言って、ひとしきり泣いたあと、彼は言った。


「あなたの気晴らしのためにいるはずの自分が、あなたを苦しめるようなことを言ってしまうほど、自制できなくなっている、その自分が憎くて。あなたを苦しめている問題も憎いし。でも、そんなふうに考えてもなにも解決しないと思ったら…。」

−わたしを苦しめるようなことって?

「昨日、『あなたが欲しい』って言ってしまって。ほかにも、いろいろ。まだ、あなたは問題をかかえているのに。ごめんなさい。」


そういえば、そうだった。そして、わたしはそれになんと答えていいものかわからず、曖昧に笑ってかわしたのだ。

彼は、思った以上にこの関係に嵌まり込んでしまったらしい。思い返してみると、睦みあっている最中の彼のことばは、すでに恋に狂っている者のそれだ。


「玩具でいいから、そばにおいてください。」

「あなたとこうなってからは、モチベーションがすごく持続する。やっぱりあなたはあげまんなのかも。」

「ああ、その強い目で見つめられながら、爪を立てられていると、体も心も、溶けてしまいそう。もう、めろめろです。」

「山田詠美の小説で、『心と体が両方感動すると、男は好きな女に対してインポになる』って内容があったけど、今、それがわかりました。」

「あなたになにか、プレゼントとか、しようと思うと、『足りない!』って言われるのが怖くて、つい過剰になってしまうんですよね。歴代の恋人も、そうだったんじゃないですか?。」

「あなたのねだり方は、他の女とぜんぜん違う。ものすごく、そそる。もう、他の女となんて、できない。」

「その強い目で見つめられると、私は恐れおののくことしか、できない。あなたは、綺麗です。」

「朝起きて、あなたが横にいることが、こんなにしあわせだなんて。」


ほんとうに、彼に恋できたら、どんなにしあわせなことか。しかし、彼が国外に移住を考えていて、期間限定の恋人にしかなりえないことを考えると、そう思い切ることもできない。

そして、彼はこんなことも言う。


「私は最高のものが少しあれば、それでいいんです。音楽でも、アートでも。そして、あなたは女として最高の部類に入る。綺麗で、自分の意見があって、人との対話が楽しめて、虐めるのが巧くて、感度がよくて好く締まって。だから、あなたとのこの関係がいずれ終わっても、その間のことを反芻することで、わたしは生きていける。でも、今の関係が終わっても、会えなくなるのはいやです。時々、前みたいに食事をして、できれば時々は抱き締めて、キスさせて。そして、ああ、時々でいいから虐めてください。」


ああ、あなたはすっかりわたしのおもちゃになってしまった。わたしは、それでは1対1で付き合うのに、物足りないというのに。

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